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とんかつ屋のランチタイムのウエイトレス。

「職種は選ばないこと!」 文:nikeさん
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○どんな仕事?
とんかつ屋のランチタイムのウエイトレス。
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わたしはこの4月に夫の転勤に伴って引越しをしました。今日お話するのは3月まで勤めていたパートのことです。仕事が見つからないと悩んでいる方には特にお勧めです。「再就職のきっかけ」「職探しの方法」などの参考にしていただければと思います。

  • きっかけ

「男女共同参画社会」(※1)ということを知ったことです。住んでいた街の市役所が行っていた講座に興味を持って参加したとき、この「男女共同参画社会」ということを初めて知りました。

「男女共同参画社会」とは「男女が、社会の対等な構成員として、自らの意思によって社会のあらゆる分野における活動に参画する機会が確保され、もって男女が均等に政治的、経済的、社会的及び文化的利益を享受することができ、かつ、共に責任を担うべき社会」つまりは、私たち一人一人が固定的な男女の役割分担意識を改め、男女が政治の場にも、職場にも、家庭でも共に参画し、生き生きと充実した人生を送ることができる社会を実現しましょう。と言うことです。

「男女共同参画社会」は政府が行っているもので、平成6年6月に男女共同参画審議会設置に始まります。現在は平成8年12月より「男女共同参画2000年プラン」として、男女共同参画社会の形成の促進に関する平成12年(西暦2000年)度までの国内行動計画があります。

と言うように、これについて全部話すととても長くなってしまいますから、女性が仕事をすることに絞ってまずは講座の内容をお話します。

日本が高度成長時代に入る頃から専業主婦が急増しました。男は外で仕事をしてお金を稼いでくる。女は家にいて家事育児をする、という形です。今もこういう家庭はまだありますから日本はずっとこういう風だったように思いますが、実は昭和30年代からなのだそうです。家の経済(家計)はすべて男の人に頼ることになりました。そして「お父さん」は仕事仕事で家や子どもの事は「お母さん」に任せっきりになりました。朝早く出勤し、夜遅く帰宅する毎日を送ってきました。

その結果「おとうさん」は退職しても何をしてよいのやらわからない人になってしまったのです。家の中に自分の居場所を作っておかなかったからです。作る時間を持たなかったからです。生きがいは「仕事」だと思ってきたからです。

また「おかあさん」は今まで昼間は自分の時間だったのに「おとうさん」が退職すると一日中家にいて外出もままならなくなります。「おとうさん」はいままでと同じようにあれこれ用事を言い付けるし干渉するし、おまけにお昼ご飯を作らなきゃいけなくなるし、でとても不自由な感じになるわけです。

今までは「お給料」を運んできてくれたから「お世話」もしたけれど、退職した今は面倒と思ってしまうのです。いつまでこういう毎日を送らなきゃならないの、自分のことは自分でやってよ、と思うようになるのです。そして「熟年離婚」が急増しているそうです。

また「老後、だれと旅行に行きたいですか」という問いに男の人の80%が「妻」と答えたのに対し、女の人は80%が「友人」と答え「夫とは行きたくない」とも答えているそうです。

男と女の「役割分担」つまり男は仕事女は家事育児、という風にしてしまったことで夫婦は接点のない人生を送ることになってしまい、夫は「子どものことや家事のすべて」を妻に依存し妻は「経済のすべて」を夫に依存する生活をあたりまえのように思い込でしまいました。それが夫婦にとって「つまらない老後」を作る原因になっているのです。

そこでわたしは考えました。
夫に家の中に居場所を作ってもらうように、せめて休日だけでも家事に参加してもらおう。

夫は幸いにも子どもとは積極的に付き合うタイプでしたので、あとは自分のことはなるだけ自分でできる「生活自立」をしてもらおう。その代わり少しでもいいからわたしもお金を稼ごう、少しずつ「経済自立」を目指そう。そしてお互いがいいパートナーになって、楽しく遊べる仲になろう・・と。

  • 仕事の選び方

とは言っても、何しろ長いこと社会に出ていなかったので何をしていいか、何ができるかわかりませんでした。幼稚園教諭と保母(今は保育士というのかな)の免許を持っていますが、その手の仕事はなかなかありません。当時子どもは小学校3年生と5年生だったので次のような条件で捜しました。

  • 家から徒歩あるいは自転車で通えるところ
  • 子どものいない時間内の勤務

なにしろ37歳になっていましたからそうそういい仕事はありません。
そこでわりきって職種は選ばないことにしました。「どんな仕事」でも勤まるか勤まらないかはやってみないとわからないよ、と自分に言い聞かせました。とにかく社会復帰のきっかけにすることを第一に考えました。

  • 職探し

そこで次のことをしました

  • 職安をあたる
  • 「仕事をしたいからいい仕事があったら教えて」とあちこちで言う

すると友達から「今の仕事を止めるのであとをやってみないか」という話しがきました。仕事は「とんかつ屋のランチタイム」でした。

家からも近く、時間も「午前11時から午後2時」また「日曜・祝日休み(土曜日は交代で)」「週4日勤務」ときっかけにするにはいい条件でしたのですぐ電話をして面接に行き、めでたく採用になりました。そして転勤になるまで2年間働きました。転勤にならなければもう少し勤めたかったです。

  • 続けて勤めたわけ

「社会復帰のきっかけ」のつもりだったので1年くらいで転職する予定でした。がなぜ続けたのかと言うと、店長が能力給を付けてくれたのです。ですからみんな同じ給料ではありませでした。

一日たった3時間ということ、そして週4日の勤務ということで子どもが風邪をひいて学校を休んでも「わたしはきちんと責任を果たしたいから仕事に行かせて欲しい」と子どもに話し、出勤しました。

無遅刻無欠勤をめざしました。「子ども」のことを理由に休まないようにしました。PTAも無理なことはきっぱり断りました。授業参観は行きました。


「責任を果たす」姿勢が認められたのか、また仕事も早く覚えるよう努力したことが認められたのかわたしの時給はとんとんと上がり、新しい人が入ると教育係を頼まれその分の手当ても付きました。


自分の能力が認められ(努力をするわけですが)それが「お金」になるということは今まで無収入だったわたしにはとてもうれしくて思わず予定以上に仕事を続けることになったのです。

  • これからは・・

引越して3ヶ月になり、就職活動を始めました。
今日は大手の企業に面接に行ってきました。できればフルタイム働きたいのですがなかなか条件に合うところがありません。(なにしろ39歳なので)今日のとことろも少し無理なところがあったので断る予定です。

フルタイムが難しければせめて6時間パート勤務できるところを探すつもりです。少しでも家計の一端をにない、夫に自分の給与を仕事上の付き合いではなくもっと自分の楽しみに使って欲しいです。もちろんわたしも自分の働いたお金を自分のために使いたいし夫や子どものためにも使いたいものです。

............................................◆nikeさんのプロフィール
14歳と12歳の男の子の母。現在、就職活動中。
行政の主催する男女共同参画のフォーラムやシンポジュウムの企画運営などのボランティアをしています。

◆Emabuより...........................................................

nikeさん、どうもありがとうございました。
再就職の難しさは皆さん本当に経験なさっていると思います。特に高学歴や以前の仕事でかなりのキャリアがある方はなぜ?と思うことが多いと思います。年齢制限、子どもの年齢など各種の要素があります。そんな中で自分には今現在何ができるかを考え、そのニーズがあるかなども踏まえて、職探しをしたのが再就職の先を見つける鍵になったのだと思います。また、再就職しようと思ったきっかけが「男女共同参画社会」のセミナーに参加したこと。このような計画が政府にはあるのですね。是非、実現させて欲しいものです。