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家庭あっての自分の仕事「パート人生」

Kさんとは、私が現住所に引っ越してきてから、彼女が引っ越していくまで
の1年間の短いおつきあいでした。でも同じ転勤族の妻として、仕事を持ち
たい母親として、たくさんの事を彼女から学びました。

Kさんは50(多分)で、3人の男のお子さんがいます。3人とも20歳代の後半です。下のふたりは双児です。双児が産まれてからというもの、夢中で子育てに専念したそうです。今ふりかえれば、あんなに子育てに打ち込めたのは幸せだったと思っているそうです。双児が小学2年生になったときから、Kさんの働くママとして経歴がはじまります。
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Kさんは、ずっと「私は働く人でいたい」と思っているそうです。職種や形態にはこだわらない、でも働いていようと。

そう思うようになったきっかけは、Kさんが高校3年生のときにお父さんが亡くなり、Kさんのお母さんが一家を支えるため働きはじめたことです。お母さんはそれまでずっと専業主婦をされていたようで、仕事を持つことになるとは思っもいなかったそうです。それはとてもつらそうに仕事にいっていました。

そしてKさんの弟さんが大学を出ると同時にお母さんは仕事をやめました。

その様子をみながら、「私は、ずっと働こう」と思ったそうです。

ママになって最初の職場は印刷屋でした。当時はワープロなどないので、ちょっとしたチラシなども印刷屋に頼んでいたようで仕事は多かったそうです。子供の帰宅時間に合わせて、13時までのパートタイム。しかし、何年か働いたところで夫の転勤が決まり、Kさん一家は引っ越しました。

その土地にいる間に、3人の子供たちはそれぞれ進学して、親元を離れて暮らしはじめました。引っ越した先では、なかなか自分に合う仕事が見つかりませんでした。そこは漁業の街と言うわけで、ようやく水産加工工場の仕事を見つけて働きはじめました。この職場はなかなか大変で、Kさんはちょっとしたいじめにも合いました。というのは、Kさんの夫は公務員のため「公務員(生活が安定している)の奥さんがなぜ、こんな肉体労働の仕事をする必要があるのか」と思う人もいたのです。加工場で働いているうちに、知人の紹介で次の転職先が見つかりました。

今度は自動車修理会社の経理事務です。ここには10年近く勤めました。実は結婚前のKさんはある都市銀行に勤めていました。その頃、銀行という組織は大きすぎて自分が何をやっているのかよく分からなかったそうです。でも、今度は個人経営の会社のため、日々の伝票処理から手形の決済まですべてをまかされて、その頃には味わえなかった面白みを仕事に感じ、興味深く仕事ができたそうです。職場でもとても信頼されていたのですが、また夫が転勤することになりました。

ところが、自動車会社の社長さんはKさんをとても気に入ってくれて、1ヶ月に一度、決済の処理をしにくるだけでもいいから、仕事を続けてほしいと頼んだのです。そこで、Kさんは200キロの距離を一月に一度、通勤することになりました。夫の実家にも近く、義母が入院したことも重なり、1ヶ月に1週間夫の実家に行き、義母の世話をし、そのついでに自動車会社の仕事もしたそうです。しかし、どうしても義母の世話が中心になり、仕事にミスがではじめたとき、Kさんはその会社を辞める決心をしました。

社長さんには、「辞めるな」とお叱りもあったほど、頼りにされていたのですが、「今が辞めるときだ」とあっさり辞めてしまったそうです。

さて、2年して、また夫が転勤になりました。今後Kさんの夫は2年ごとに転勤するそうです。今度の土地では、仕事をする機会がなかったので、授産施設でボランティアをしたり、大学の公開講座に通ったり、自分の趣味を深めたりしました。そして2年後夫の転勤。次は離島に行くことになりました。

Kさんによると、転勤などで引っ越した場合、1年たって生活やその土地の様子がわかってきたら活動開始なのだそうです。そのKさんの島での2年目に私は出会い、彼女の「活動開始」の様子を見ました。

Kさんは趣味のパッチワークがセミプロ級と言っていいくらいで、4月から自宅でパッチワーク教室をはじめました。でも、お金は頂かないのです。

島では求人はあるにはあるのですが、どうしても通勤に車が必要です。車の運転をしないKさんは、「送迎ありか、通えるところじゃないと無理」という条件で仕事を探していました。そして、7月、夏のあいだの20日間の期間限定で、「昆布干し」の仕事がみつかりました。これは短期ですが、毎年人手が足りないくらいだそうです。同時進行で、7月から9月の町営プールの監視員の仕事も始めました。その他にも、Kさんの夫が管理職だった関係で、「公務」といっていいような、町のさまざまな仕事を(無償ですが)頼まれていました。そのほかにも、島の子供達のために劇団などを呼ぶイベントの団体に入ったり、パッチワークの展示会を企画したりと実に多忙に過ごしていました。

こうして1年が過ぎ、夫の転勤でKさんはまた引っ越していきました。引っ越す前にわたしが「むこうに行ったら何をするんですか」と聞いたら、Kさんは「多分年齢的に、最後だと思うので、仕事したい」っておしゃっていました。そして、引っ越してから、なんと1週間もたたないうちに、Kさんは就職していました! 用事で街を歩いていたら、近所の縫製会社に求人のはり紙があって、その場で事務所に入っていき、採用になったのだそうです!!

Kさんがいつも言っていた言葉です。
「仕事がしたいと思ったら、心にしまっておかないで、誰にでも仕事したい、仕事ない?って言うことが大事」、「思ったらまず行動したほうがいいい」、「今すぐに自分の思っているような仕事ができなくても、あきらめないで」。

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Kさんのプロフィール
    およそ50歳 子供は男の子3人(いずれも20歳代後半)
    下の2人は双児。北海道転勤族の妻。
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Emabuより

もとこさん、レポートありがとうございます。

Kさんがおっしゃっていた言葉は、Vol.6で紹介したnikeさんもおっしゃっていたように思います。偶然にも転勤族の妻と言う立場も同じです。働きたければ、回りの人に自分が働きたい気持ちがあるのだということを伝えないと伝わらないということですよね。そして、仕事は選ばない、与えられた仕事は精一杯行う。これ、案外、できない人が多いと思います。

また、生活が安定しているのになぜ働くの?
私にとってはとてもうらやましい言葉ですが、女性の働く意味には自己実現のためという人が多いそうです。そのため、いつでもイヤならやめればいい、そう思えるのも女性です。

与えられた仕事に責任を持つ。そうしている人は必ず、職場でも認められ、頼りにされるはずです。きっと、Kさんもそうして、いろいろなところで活躍されてきたのだと思います。

私もいつまでも仕事をしていたいと思います。年をとってもできる何かを、今のうちに身につけておきたいものです。