vol.194-Emabuの地方暮らしで学んだこと!
皆さん、お元気ですか?
なんと、昨年12月にメルマガ「はたママ」を発行して、気がつけば、6ヶ月が経ってしまいました。本当にごめんなさい。はたママは、本当は隔週なんです。本当にごめんなさい。
ここ半年間は、自分のことでいっぱいいっぱいでした。
心と頭が思うように動かない。
何がいけないんだろう、どうしたんだろうと思う毎日でした。
私にもこんなこと起こるんだなあと、解決の糸口が見えないなあと。
思い悩む毎日でした。
でも、そのわけに気がついたのです。
自分のことばかり考えて、「はたママ」を半年間もご無沙汰していたからなんです。そう思ったら、「はたママ」での懸案事項をたくさん思い出しました。そして、1つずつ確実に実現させていこう。
そう、思えるようになったのです。
皆さん、心を入れ替えた私を楽しみにしてください。
さてさて、私の単身赴任生活もすでに、10ヶ月が過ぎようとしています。
ここでの生活は、いろいろな面で私を成長させてくれたと思っています。
・電波の届かないところでのインターネットなし生活。
・豪雪の中での忍耐生活。
・都会と地方との意識が違う中での生活。
・意識の違う社内での生活。
・大衆の考えを持たない自分との戦い。
いろいろな常識や意識の違いに驚き、自分が持っている心と真正面から向き合い戦ってきました。でも、違う意識と戦うことではなかったのです。
まずは、相手を認め、その中に溶け込むことだったのです。
溶け込んだからと言って、自分の違う意識を捨てることではありません。
時間がかかるかも知れないですが、まずは、相手の意識を受け入れ、信頼を得ることだと思いました。
これって、自分の講演会の資料をみると、皆さんに話していることなんです。おまけに、相手に信頼されたときは、必ず行っていたことなんです。いつしか、自分はできるとか、自分は違うとか勘違いしていたんですね。
人の言葉(考え)が聴けなくなっていました。
1人1人が人生の先生であり、私のためを思うからこそアドバイスしてくれていたのです。
そして、上司からも学びました。
自分が意見を言い過ぎると、相手は何も言わなくなってしまう。
本来の能力を発揮できない状態にしてしまう。
相手の能力を引き出すことが、上司としての仕事でもあるはず。
聴く耳を持たないと、何が起こるか。
誰も自分に物を教えてくれなくなってしまいます。
100%完璧な人はいません。相手の言うことは、何か意味があるんです。
その意味をどのように理解するか、どう解釈するかそれによって、自分が成長速度が変わってきます。今は、心を受容にすることを学んでいるんだなあと。
つくづく思いました。
今は、違う意識を受け入れ、受容し、その上で改革していくという方策を学ばせてもらっているように思います。
そんな中で、一番これだ!と思った意識の違いをご紹介します。
都会と地方の意識の違いは、「選択できるか、できないか。」があるのだとわかりました。
例えば、物やサービス、人の活用について考えてみると、
都会は、「選択できる。何を選択し活用するか。」を考える。
地方は、「選択できない。あるものをどう活用するか。」を考える。
また、人が会社を選ぶ場合も全く違います。
都会は、「選択できる。他社と差別化し、良い人材の確保。」
地方は、「選択できない。地元の人は辞めない、人材確保が容易。」
など、私が陥った常識の違いは、この選択可能かどうかによって、説明できることがわかりました。私は、「選択できること」これが、「自由であること」だと認識してきた私にとって、選択できないことは、
「自由を奪われた」と思ってしまったのです。
でも、「選択できないこと」が「自由ではない」ことではないのです。
「選択できないこと」をここに居る人は、「選んでいる」のだと気がつきました。そういう常識もあるんだということに気がついたのです。
そう、結局、何がいいかは個人個人が決めること。
それを選択することは、地方でも都会でもなくできること。
そして、私自身、地方に来たということは、「選択できない」ことを選んだということ、この中で人材の活用、サービスの提供を考えて行こうと決心したのでした。
きっと、皆さんも私のようなジレンマに陥ってしまっていることもあるのかも知れません。でも、それは「できない」のではなく、「できない」ことを選んでいる自分がいるのだということが自覚できると、楽になるかもしれませんよ!!
自分が変わるか、自分の環境を変えるか、今の環境を生かすか。
どれかですね!!