vol.233-50歳で、9か月の無職生活からの就職成功。
リーマンショックっていつだか覚えていますか?
2008年9月15日です。
アメリカの大手証券会社の経営破たん。
世界に激震が走ったのを覚えております。
このお話は・・・
リーマンショックが起きることも知らずに、
その直前に会社を辞める決意を会社に伝えた私のお話しです。
2008年12月~2011年1月の私の約2年間が綴られています。
退職→無職→1からの再就職→ステップアップ
ご興味があれば、お付き合いください。
■2008年11月:退職
実は私が元の会社を辞める決心をし、辞めると告げたのが、
この数日前。「11月末日で会社を辞めます。」なんて、
言ったんですよ!!
ここからが大変。
これまでの転職は、大体、次が決まっていて、
お誘いがあって、など。
辞める前に次のところを決めてからというのが常識でしたが、
今回は、まあ・・・どうにかなるだろうの甘い考えで、
会社を辞めてしまいました。
就職活動もリーマンショック以降となり、
びっくりするほど、どの会社も人材が余り気味。
50歳のおばさんを雇う気なんてさらさらない
感じでした。
システム会社に登録したり、
教育関係の会社に登録したり。
気がつけば、転職サイトにどれだけ登録したでしょう・・・
■2008年年末~2009年3月:無職3カ月
年末は、福山雅治のライブに参加し、
あげ上げ気分。これから来る寒い状況も全く考えず、
ウキウキ過ごしていました。
しかし、年明け早々。
ノロウイルスに感染し、体調を崩し、
1月末には、ヘルペスにかかり、
病院通いが続いていました。
しかし、それでも2月、3月は全くお気楽な就職活動。
やりたいことをやるためにどうにかしようと思っていました。
リーマンショック以降、公的な機関がわざわざ
職を作ってくれたものもありました。
それは、時給1000円以下の仕事。
さすがに手が出ませんでした。
誕生日も過ぎ、51歳に・・・
■2009年4月~5月:無職5カ月
4月、5月は、就職は諦め、起業しようかと思い、
サイトのリニューアルなど、とにかく積極的に
自分のできることをやってみました。
平行して・・・
福祉関係の仕事。
システム関係の仕事。
今までのノウハウを持ってすれば、
それでも雇い先はあると、信じていました。
何社に履歴書を送ったでしょうか・・・
面接までこぎつければ、まだまし。
大抵は、書類審査で落ちてしまいました。
面接でも、これだけの経歴を持っていらっしゃれば、
うちで働く必要はないんじゃないのですか?
なんて言われました。
会社を経営された方がいいんじゃないかなとか・・・
※実は、社会が求めてるものと自分が違うことに
気がついてないんです。
一般的にこの年齢に成れば、正社員は無理。
派遣社員でも断られます。
■2009年6月~7月:無職7カ月
そして、6月には膝の再手術。
5日間の入院。こんな状態じゃ求職活動はできません。
しかし、退院後、
以前から交流のあった人材会社の経営者に
共同経営者に成らないかとお声をかけていただきました。
よく考えましたが、体調面も含め、その経営者の期待に
応えられない自分を感じ、結局、このお話はお断りし、
また、1から職を探す毎日となりました。
そんなとき・・・
8月に総選挙がありました。
選挙絡みの求人が人材派遣会社に多く見受けられました。
条件は最悪。交通費なしの時給770円!!
しかし、職場が近所だということで、
とにかく、2週間新しい体験をしてみようと、
この求人に応募。(絶対、大丈夫だと思っていました)
しかし、なんとこんな求人にも多くの方が殺到し、
就職難を本当に実感しました。
とにかく、PCスキルがあることを強調し、無事合格。
久々に仕事が決まりました。
※この頃になると、社会から自分が要らないと
言われているような気がして、なりませんでした。
だから、まだまだ自分を求めているところがあり、
働ける幸せを感じました。正直、お金じゃない!!
■2009年8月~9月:無職9カ月+アルバイト10日+就職
求人を見るというよりは、この頃から、派遣会社への
登録をしていくようになりました。
自分からやりたい仕事をするのではなく、
求められている仕事に就くしかないのかもと、
少し考えが変わりました。
結局、何も変わらないまま、無職のまま、
選挙のお仕事をし、10日間ですが、
オフィスで働く感覚、働くことの喜びなど、
久々に感じました。正直、お金じゃない!!
選挙のお仕事が終わった頃。
別に登録した派遣会社から電話をいただき、
エネルギー会社のPR業務があるけれど、
説明会に参加してみないかと。
時給は1400円。
1か月の研修期間もあるとのこと。
大手の100%子会社であること。
関東ではまだほぼ初めての仕事であること・・・など。
とにかく、無職の私には、
何でもいいから初めてみようと思い、
8月末に説明会に参加、面接をしていただき、
9月8日から研修に参加することになりました。
(研修期間に他の仕事が決まれば、変わってもいいし・・・)
研修は、100名近く28歳~55歳くらいまでの男女が
おりました。8割が女性。平均年齢は42歳くらい。
今時、こんな平均年齢の職場があるのかと思うくらい。
前職は様々。
PTA以来の女性社会。
ちょっと、戸惑うことはありましたが、
とにかく前向きに働くことにしました。
■2009年10月~2010年3月:就職6か月
研修が終了し、新しい事務所への配属。
リーダーと呼ばれる2人の男性と約25名の女性と男性数名。
その後、別会社の出向者が10名ほど合流し、40名ほどの
事務所がスタートしました。事務の女性、3名。
これだけの人が集まれば、
派閥もできるし、いじめもある。
働く意識も違うので、いろいろな問題もありました。
関東では根付いていない活動だったため、
業務の進め方もまだまだ確定せず、
本部組織もはっきりせず。
いろいろなことがありました。
心に決めたことは、リーダーの負担をなくそう。助けよう。
とにかく解決できる問題は解決し、事務所が円滑に運営
できるように前向きに努力しました。
問題が明るみになり、廃止になった事務所もある中、
多くの暗礁に乗り上げながらも、うちの事務所は
どうにか持ちこたえました。
そんな中、人材増強のため、リーダーも増員するとのこと、
2月にリーダー候補として、推薦していただき、
3月にリーダー研修を1か月受け、
4月から、新しい事務所のリーダーとして、
再出発することになりました。
■2010年4月~2011年1月:就職&ステップアップ10カ月
新しい事務所は、元の事務所の倍の人数(100名規模)を抱え、
さらにリーダーは男性7名と私の8名体制の事務所でした。
そして、すべて新人リーダー。
女性社会から、急に男性社会への転換。
感性から理論へ頭を転換させる必要がありました。
女性一人の意見はなかなか通らない。
また、新たな試練が待っていました。
8名の意識を合わせるのは大変。
連日、遅くまでお互いの意識を合わせるため話し合いました。
成果は上げるが、無くし物や事故が絶えない事務所。
なんて、称号をいただき、また、話合いの連続。
しかし、恵まれていたのは・・・
最初は女だからと思っていたかもしれませんが・・・
そのうち、女だからと遠慮しなくてもいい女なんだと、
リーダー達が理解してくれた気がします。
仕事がしやすい環境を作ってもらってます。
そして、言いたいことが言える環境。
言っても言われても根に持たない環境。
これが今の私の職場です。
※ここ数カ月で学んだことは、
年齢に関係なく、どんな仕事も嫌がらずに行うこと。
そして、前向きに誠意を持って取り組むこと。
そして、会社の意向を汲み取り、素直に従い、謙虚であること。
■リセットしたゼロからの再出発から学ぶこと。
今回の就職は、自分がはたママ研究所というサイトを
運営していることや、今までの実績をすべてゼロにしての
再出発でした。
作った実績をゼロにするのは非常に辛い。
でも、ゼロにしないと次に進めないんですね。
以前の就職では、元の経歴を利用し、ステップアップする
ことを行ってきましたが、それが通じなくなる、時代の
流れが変わるときが来るんですね。講演で話していたのに
自分で本当に実感しました。
そんなときは、
基本に立ち戻り、やるべきことを淡々と行うこと、
文句を言わず、今与えられたことをきちんと行うこと、
それにより、誰かが必ずその実績を評価してくれる時が来て、
次のステップへの道筋を作ってくれるのだなあと思いました。
一つ一つ与えられたミッションをクリアして行くことの
大切さを知りました。
リーダーになってみると、
見えなかったことがたくさん見えてきました。
大勢の中でも前向きに働いている人は輝いて見えます。
この人となら、一緒に働いてもいいと思える人が
キラキラと光って見えます。
それは、仕事の内容とかそういうものじゃないのですね。
言葉使いであったり、
日頃の衣服であったり、
物の管理の仕方であったり、
まわりへの気づかいであったり、
問題へ対処の仕方などなど。
どう思って動いているか、行動に現れます。
そして、歳をとると、忘れてしまうことがあります。
「他人のアドバイスや意見を聴かなくなること。」
頑固に成ります。頑固は進歩の大敵です。
時には、経験という先入観を捨て、頑固にならないこと、
他人のアドバイスを受け入れる素直さを持っていること。
若い人の言うことが正しいこともあるんです。
まずは、若い人に従ってみることも大切かなと・・・
今は、新しい環境で、新しい自分磨きをしています。